何者でもない私の日常

どんな意味においても,名をはせたことのない私のつぶやき

今朝,旅立った2号

二人目の息子がオープンキャンパスに行った。申し込みも宿泊の予約も私がした。本当は彼にやってほしかったけど,放っておくと夏休みが終わってしまうので強行策として。踏み出すのが億劫な次男を何とか自立させたいけれど,道のりは本当に険しい。

エアコンの効いたWiFiの飛んでいる部屋から飛び出すのは,思い切りが相当いるらしい。

何不自由ない生活が,彼の不自由さの源。

思えば30年前,進学を決めた私に迷いなどなかった。家は当たり前に居心地の悪い場所だったから。どうしても出ていって自分の居場所を探したかった。

かたや彼はと言えば,働かなくてもきちんと学校に行けて,手作りのお弁当とお小遣いとスマートフォンを渡されて,帰ってからもSNSでずっと友だちとつながっていられるのに,家を出たいなんて思わないのかもしれない。

だけどね,SNSじゃ肌がピリピリするような街の暑さや,雑踏の音,飲食店の匂いや,名前も知らないすれ違うだけの人の表情は分からないよね。そんな雑踏の中の誰かと,生身の自分が出会う瞬間の刹那なんて,なおさら分かりはしないよね。選び抜かれた投稿写真には写らないものにこそ味わうべきものがあると母は思うのです。

行ってらっしゃい,2号。

何者でもない私の日常は今日,息子を見送りながら,書きはじめることを決めた。2号が見事自立する日は,私が母親から本当に何者でもない私に戻る日。(1号は進学してバイトしながら一人暮らしをしているので,ほぼ自立にカウント。)その日を夢見て,なるべく続けたいと思います。